今回の「涼宮ハルヒの憂鬱」の放送形態について

「再放送だと思って見逃したらどうする」と言っている人が結構いるが、それ本気だったら、バカじゃね、と思う。「再放送だったら見ない」という程度の作品を見逃したって「所詮」「その程度」の思い入れしかないんだから別にいいじゃん。「涼宮ハルヒ」くらいの作品なら再放送だって見るだろ普通、DVDをプレーヤーに入れる手間がかからずにテレビの前にいれば見られる機会がせっかくあるんだから。
ちょっと前に「報道番組のせいで時間がズレて録画が途中までしかできなかったからネットで配信すべきだ」とか言ってた人がいたけど、まあネット配信のことは、個人的には50インチプラズマに耐えるHD映像が配信されるならともかくようつべ画質じゃなあ、と思うんだけどまあ提言としてはアリとは思うが、どうしても「なんでテレビの前で待ってないんだ」という気持ちがぬぐえない。「所詮」「その程度」の手間すらかけるに値しないってことだろ、と。こういうこと言うと確実に「老害乙」といわれるだろうけど、昭和のテレビ番組は”一期一会”だったから、見逃したらハイソレまでよ、ってのが原則だった。再放送される番組は確かに多かったけど別に全部の番組が再放送されたわけじゃないし、録画機器だって今より全然貧弱で、オレも何度再放送されてもなぜか必ず最終回だけ見逃してしまう番組とかあった。また、特番でとんじゃう番組なんてザラにあって、やっぱり最終回が特番で移動しちゃって「最終回が放送されなかった」という都市伝説になった番組だってあった。
そんな時代を経験してる人間からすれば、今みたいに録画機器も発達し、ネットなどで情報もふんだんに溢れている現状で「見逃しちゃったから製作者(放送局)責任とれ」とかって何様だ、とどうしても思ってしまう。
おまえはそんなにエラそうなこというだけのコストは払ってきたのか、と。
ああなんか「自己責任」教みたいだなあ。やだなあ。

前にどっかのブコメに書いたけど「自己責任」教って嫌儲のバリエーションだよなあ。