そうか、あのキャバレー無くなってたんだな。

いやまあ知ってはいたけど、あらためてこういうところで話を聞くと隔世の感があるな。

東京キネマ倶楽部はビルの6階に入居していて、内部で三層吹き抜け構造になっている。あとでサエキ氏のMCで語られたところでは、10年ほど前まではキャバレーとして機能していたらしく、最後のほうは出演者の平均年齢65歳、16時ごろに開いて21時には灯りが落ちるというとんでもないことになっていたそうだ。

私が上野周辺をうろついていたのはまあ学生の頃、昭和から平成へ移り変わるころだったからそりゃ当然ちゃ当然か。未成年じゃキャバレーに縁はないし、酒を憶えた頃にはバブルな友人に日本橋のバーへ連れていってもらってたり、バイト先は夜の銀座だったりしたから結局こういった水商売とは殆ど接触することなく年をとってしまったのは、人生損をしてしまったのかもしれない。おかげいまだに新橋とか歌舞伎町とか、ニガテだ。

高校の頃、学校から一番近い遊び場だったので、クラスのオタク連中とつるんでよく今は亡きボウリング場でボウリングしたり、根岸に住んでる友達の家でゲームやったりした。なぜかいっつもついてくる女子が一人、彼女はモデルやってて学年でも注目されてる綺麗な子だったけど、どうしてか小倉久寛そっくりなオタク仲間のことをペットのようにしていた。彼女はのちにそんな感じのコメディアンと噂になったりもしたので、まあそういう趣味があったのかもしれないし、安牌として扱われていたのかもしれないけれど、綺麗な女の子の笑顔がそばにあるのはたとえ指一本触れることができなくてもそれなりに愉しいものだった。まあそんな感じで過ごしていた日々、よく食事したのが言問通りをはさんでラブホテル、プリンセス2の向いにあった手打ちうどん屋だった。

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ストビュが撮影されたころはまだ存在していたのは確かだが、今もあるかはわからない。もう何年も行ってないし。
まあとにかく、ボウリング後には必ずスタミナうどんを食べたっけ。手打ちで麺の太さは不揃いなんだが、喉越しと消化が良く、ボリューム多目だったけど腹にもたれなかった。
常連は近所の床屋のおっちゃんで、いつ行ってもいたような気がする。そのくせ私が髪を切りに行くときは店にちゃんといたのはフシギだったかもしれない。
場所柄、夕方にアベックがやってきてスタミナうどんを頼んだりすると、事前か事後かしらないがニヤニヤと見守ったものだ。

というようなことを上記の記事から走馬灯のように思い出してしまったというのは、年齢のせいか、それともお迎えが近いのかもねぇ。

<この記事は思い出というファンタジーです、登場する人物は実在の人物とは一切関係ありませんことをお断りいたします。>