連載と書き下ろし

んー。「Fate/Zero」が大傑作なんだそうだ。いやまあ「stay night」すらやってないんで論評は避ける。こんだけ売れてるし熱く語る人がいるんだから優れた作品なんだろうと思う。

ただオレは全く読もうとか思う気がおきない。まあ時間が無い訳ではないし、読むのが遅いわけでもないので単に怠惰なだけなんだが。

オレの好きな作家と言うとまず海音寺潮五郎陳舜臣隆慶一郎といったところか。一時期シバレンに入れあげたが、結局眠狂四郎はオレの中で伊達邦彦を超えなかった。小学生の頃から大藪にハマっていたけど、高校の頃に横溝にハマって何故か陳舜臣に流れた。受験からの逃避行動で司馬遼にハマり、その流れで海音寺潮五郎に手を出し、そしてずっぽりとハマった。平行して隆慶一郎もハマったが、如何せんタマが少ない、まあ海音寺も最近じゃ見かけなくなったけど、幸い全集を揃えてる図書館が身近にあった。海音寺ならとりあえず「天と地と」が一番手にとりやすいだろうが、まああれも傑作であるとは思うが、やはり「蒙古来る」が一番手に汗握るスペクタクルだろうか。まあ隆慶一郎の方が洗練されてる、って言われたらそれまでなんだが。海音寺のずっしりと立ちはだかる風格が感じられる文章が個人的には好きだ。池田一朗は洒落者すぎる。
今タイトルを失念したが「三河武士」という本に収録されてた植村新六郎を主人公に据えた短編がもの凄く好きだ。モチーフとしては海音寺作品としてはありふれたものだが、中世的な人間観というものが身にせまってくる感じがする。ヒューマニズムなんてクソクラエ、な前近代社会を、ダイナミックに描き出す力量は個人的にはズバ抜けていると思う。もっとも海音寺自身はヒューマニズムに溢れた人物でありそれは否応無く作品に反映されてはいるが。

ところで、昭和以前の長編小説というのは多くは新聞連載、週刊誌連載だったケースが多く、オレが読んだ小説も大抵はそうだ。まあ今でも新聞に連載している小説は一杯あるけど、たいていは期間なり回数を区切ったもので、何巻にもわたる長編小説というのはあまりないと思う。昔は何年も新聞に連載したりするのが普通で、小説誌も最低一年、大抵は足かけ3年4年てのは少なくない。

そこで、若い頃こういった長編小説を読んでいて感じたのが「終わりに近づくにつれてテンションが落ちてくる」ということ。特に目立つのが早乙女貢の「北条早雲」全5巻で、確かに長いんだが、それは長生きした早雲の生涯を(といっても中年以後だが)描いているからで、まあそれでも司馬遼の「箱根の坂」は3巻だったけど、まあ長いのはいいんだ、ただ内容が、数ページ置きに陵辱シーンが頻発するのは、まあこれも小説誌の連載ということを考えればしょうがないんだけど、まあとにかく茶々丸をやっつけるまで、要するに伊豆を手に入れるまでがムチャクチャ長くて、小田原から三浦を攻めるあたりは最終巻で一気呵成に片付けてしまう、という駆け足さ。あきらかに作者息切れしてるだろう、というのがわかる描写の薄さ。前半はとにかくねちっこく状況やエピソードを陵辱シーンをちりばめながらダラダラと描き、後半はササッと流してしまうアンバランスさ。普通史料の充実している晩年の方が比重が重くなってもおかしくないんだけどね。まあ早乙女貢という人は娯楽小説の大家なので、松永弾正を描いた「悪霊」でも若き弾正が陵辱しまくるシーンを延々と描いてゆくけど三好家を乗っ取ったあとはスラっと終わってしまいました。まあ早乙女氏の名誉の為に言っておくと「会津士魂」はどこを切っても情念の迸った濃い描写が延々と続く「薄い」「息切れ」ということは全く言えない力作です。学生時代はこの連載読みたさに図書館に歴史読本の新刊が入るのを楽しみにしてました。

でまあ連載終盤はいろいろと落ちてくる、ということですが、陳舜臣や司馬遼、海音寺もまあ避けられないことで、連載ものの長編小説って結構残念な印象を残すことが多かったんですわ。

んでも、ライトノベルとかって基本的に書き下ろしじゃないですか。連載も短編中心で、長編も加筆して書籍化が前提。基本的にダラダラ連載してるうちに破綻しちゃたみたいなことって少ないと思うんですよ。まあオレはまったくラノベ読まないんで(スレイヤーズ田中芳樹くらい)間違ったこと言ってたら訂正してくれると嬉しいけど。まあそれで要するに書き下ろしの方が完成度高くできるんじゃないかな、と思うんですよ。この場合完成度ってのは首尾結構が整っているとか、そういう端整さの部分ね。ネタを振って受ける係り結びの整合とか、あるいは勢いの緩急とか、そういったコントロールが連載よりも効きやすいだろうな。と思うんですよ。

そう考えるとライトノベルに限らず「現在」の小説作品の方がいろいろと優れているんだろうな、と。「昔は良かった」てのはありえない世界だな、と思うんです。それでも私は昔の作品の方が「好き」ですけど、これは全く食わず嫌いの言ですからね。まあまともにとりあわないでください。

ところで宮崎市定の「東洋における素朴主義の民族と文明主義の社会」(東洋文庫)は、ヘタな小説より泣ける名著なんで歴史に興味のある人は読んだ方がいいと思うよ。塩野ナナミンの「ローマ人の物語」とか楽しめた人なら楽しめると思う。まあ結局オレの言いたいことは「とにかくみんなイッチー読めよ」てことなんだけどね。